本郷小石川散策

本郷・聖テモテ教会

普段行かない街に行ってみよう企画、第2弾。先週書いた本郷図書館・鴎外記念室の企画展「私のパッパ」を見るとだけ決めておいて、あとは出たとこ任せで。結果的には、千駄木→本郷→春日→本郷→湯島→池之端秋葉原と調子にのって歩き過ぎてしまった。
千代田線の千駄木駅から団子坂を登って鴎外記念室へ。展示については上記リンクをご覧いただければ分かるとおり、鴎外と子供たちの交歓を物語る資料展示である。入口順路に沿って外側には鴎外本人の資料で、部屋の真ん中が企画展スペースになっている。森茉莉自筆のエッセイ原稿と向かい合わせに、エッセイ中に登場するドイツ製のビアジョッキが展示されていたりするあたりは心憎い工夫だと思った。鴎外の子煩悩さについては繰り返し森茉莉のエッセイに触れられているが、それを全く裏付ける客観資料を目の当たりにできるという点で、足を運ぶ価値は十分にある。それにしても父が子を思うこと、子が父を慕うこと、当たり前のようだがなかなかこうは行くものではない。陸軍医で文人という二重生活を送りながら、尚且つ子供たちにも十分目を配り手をかけてやるなんて、寝るヒマもないんじゃないかとすら思った。あと、写真を見たら漫画(関川夏央原作・谷口ジロー絵の『坊っちゃん』の時代 (双葉文庫))のイメージよりずいぶん細面だったのが意外であった。
鴎外記念室で配布している近所散策マップに従って歩くことにした。ルートは2つで、南に下って東大農学部にぶつかり東西に分かれて、最終的に東は池之端、西は小石川でゴール。どっちでもいいけど、見どころが多そうな西ルートにしてみた。東大の正門前を通って菊富士ホテル跡を見て、菊坂で迷い、人に道を尋ねて炭団坂を上るとゴールの「文京ふるさと歴史館」についた。
ちょうど開催中の企画展がこれまたツボに入る近代建築関係。展示自体は地下にあるが、歴史館の入口脇に昨年解体された「曙ハウス」の実物レリーフがどーんと置いてあったりして、アピール度満点である。ついさっき見てきた鴎外記念室も取り上げられていた。小石川に勤めてた時に撮影していた古い洋風木造建築が遠藤医院という明治時代の建築物だったことが分かったりして、発見の多い企画展示だったが、学芸員の説明時間に遅れて着いてしまったので解説がほとんど聞けなかったのが残念だった。
歴史館を出て、以前勤めていた小石川方面へ足を向ける。真砂坂を下って文京区役所の脇を通って、こんにゃく閻魔を拝んでから遠藤医院のあった場所を見たらマンションが建っていた。すぐ近くに「礫川(こいしかわ)」の名がついた区の施設があった。同じ読み方でいろんな漢字をあてる地名は歴史を感じさせて好いなあ。
白山通りを渡って右京山(清和公園)へ。ここでよくお昼を食べていたのだけど、ラクーアのジェットコースターの音と悲鳴がハッキリ聞こえるのには驚いた。マシンが目視可能な距離にあるから不思議ではないんだけど、近隣住民はどう思ってるんだろうか。
さあて、これでネタ切れだ。水道橋から帰るのが一番早いのだけど、足に余裕があるのでもう少し頑張ってみることにした。真砂坂を登って春日通りをまっすぐ進むと御徒町に着くので、飽きるまで歩いたろうとテクテク進む。春日通り沿いは古い店がまえが多く、大通りだけど退屈しない。湯島天神脇の湯島プラザホテル(今は営業していない)が夕陽を浴びて聳え立ってるのがカッコよかった。ここまで来ると不忍池もすぐそば。あのキテレツなホテルも解体されるらしいので、ついでに見てから中央通りを南下して秋葉原まで辿り着いた。さすがに足も痛くなってきたのでここで遠足終了。総武線でゆっくり帰って来た。
次回への宿題は(1)旧岩崎邸を見る。(2)樋口一葉旧家跡を見る。(3)求道会館を見る。(4)根津のたい焼きを食べる。(5)湯島の「みつばち」で小倉アイスを食べる。一日歩いていたのに、これだけ見落としがあるというのにびっくりですよもう。またそのうち行かないとなあ。