久闊を叙する


学生時代の友人が上京しているとの連絡が入ったので夕方から上野へ。
不忍池の水上音楽堂近くにある「蓮見茶屋」で一服。給仕娘が全て和装なのは何かコダワリがあるのだろうか。パフェはおいしかったが、喫煙は外のみ可なのがこれからの季節的に難儀ではある。追記:調べてみたら、地元の観光協会が運営してた。江戸時代のお茶屋をイメージということで和装は納得。
友人の韓国食材店での買い物につきあう途中で、近代建築が残ってるのを教えてもらった。上野デリーの裏あたり。
お見送りの前に、エキナカの日本酒豊富な和食系飲み屋でしばらくダベる。皆あまり前向きな人生観を持たず、身過ぎ世過ぎの合間に好きなことをして単身ダラダラ生きてる者同士なのでラクでいい。相変わらず趣味方面お盛んなようで何より。mixiで日々の活動についてはお互い分かってるので話が早い。便利な世の中になったものだ。
しかし、顔をつき合わせて話すに越したことはないというのは、いつの世でも不変だろうと改めて思うことしきり。いつどこでどうなるかなんて、誰にも分からないのだから。ということに思い至るようになったのは周りで早世した人たちへの悔いがずっと残っているから。これは私自身がくたばるまでの無期限刑みたいなもんか。